茨城県

土浦城跡と亀城公園(土浦市)

投稿日:2023年3月30日 更新日:

(撮影:2016年5月)

茨城県土浦市にある亀城公園は県指定の史跡公園で土浦城の堀、櫓門(やぐらもん)、東櫓、西櫓、霞門(かすみもん)などの遺構が残っているほか、天然記念物・樹齢約500年のシイの木があります。春は桜の名所であり、茨城百景や日本さくら100選、続日本100名城にも選ばれています。

ぽちゃ丸
水に浮かぶ亀の甲羅みたいに見えたことから
亀城(きじょう)って呼ばれてたんだって
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土浦城と城主の歴史

土浦城は室町時代に八田知家(はったともいえ)の子孫で小田氏に属する若泉(今泉)三郎が城をつくったことが始まりです。

戦国時代若泉五郎左衛門が城主でしたが、小田氏の家臣・菅谷勝貞(すげのや かつさだ)に攻め取られ城を奪われ若泉氏は滅亡し、菅谷氏の居城となり、小田家の重臣として佐竹氏、多賀谷氏などに対抗しました。その後、上杉氏や佐竹氏に小田城を奪われた小田氏治(おだ うじはる)が土浦城の城主となり、たびたび小田城を奪い返しますが手這坂(てばいざか)の戦いで真壁軍に大敗し勢力が弱まり、小田氏と菅谷氏は佐竹氏に降伏します。

豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の小田原征伐のときに菅谷範政(すげのや のりまさ)は後北条氏(ごほうじょうし)と結んだため、佐竹氏や徳川家康(とくがわ いえやす)の軍勢に攻められ、小田氏とともに滅亡しました。

徳川家康が関東に入り、土浦城を結城秀康(ゆうき ひでやす・家康の次男)に与え、秀康が北ノ庄城(きたのじょうじょう・福井城)に移ったあとは藤井松平家(ふじいまつだいらけ)の松平信一(まつだいら のぶかず)が入りました。信一と子の信吉が現在の城の形をつくったと考えられています。

江戸時代、松平信吉(まつだいら のぶよし)が上野国(こうずけのくに・群馬県)の高崎に移ると、土浦城には西尾忠永(にしお ただなが)が入り、忠永の子・忠照(ただてる)が1620年から7年かけて西櫓と東櫓を建て、1622年には本丸の正門は櫓門に改められ、水堀と柵つきの土塁、三つの櫓で守られるようになりました。

1649年に西尾忠照が駿河国(するがのくに・静岡県)の田中城に移ったあとは朽木稙綱(くつき たねつな)が城主となり、1656年に櫓門を太鼓櫓門(現在の姿)に改築しました。

1669年に土屋数直(つちや かずなお)、1682年~1687年まで松平信興(まつだいら のぶおき)、その後は再び土屋家・土屋政直(まさなお)、陳直(のぶなお)、篤直(あつなお)、寿直(ひさなお)、泰直(やすなお)、英直(ひでなお)、寛直(ひろなお)、彦直(よしなお)、寅直(ともなお)、挙直(しげなお)が城主を継ぎました。

明治時代(1873年)に土浦城は廃止されました。

土浦城跡と亀城公園の見どころ

3月~4月は綺麗に咲き誇る桜が見れるでしょうね。
5月は土浦城(東櫓)と鯉のぼり、本物のカメやコイが見れましたよ。

亀城公園内には散策できるところもあり、花菖蒲や藤の花を見て楽しめます。
お猿さん、今もいるのでしょうか。

土浦城跡と亀城公園への行き方と情報

土浦城跡と亀城公園公式サイト地図
無料で時間も自由です。

【交通アクセス】
JR常磐線の土浦駅(西口)から徒歩 約15分

亀城公園のとなりに土浦市立博物館があり、こちらは午前9時から午後4時30分まで。
定休日は月曜日です。
※現在、大規模改修工事のため臨時休館中となっていますね。
令和6年1月頃まで…だそうです。

【駐車場】博物館にあります。(第1・第2駐車場)

自転車で歴史散歩

当時の私が通ったルートは、こちら。

運河水辺公園(流山市)をスタート→大利根橋(取手市)→藤代大橋→
牛久沼(牛久市)→土浦駅(土浦市)→亀城公園に到着!(片道2時間55分・約44km)

亀城公園で撮影された作品

仮面ライダーエグゼイド(2017年/特撮ドラマ)
ふるカフェ系 ハルさんの休日(2017年/ドラマ)
玉音放送を作った男たち(2015年/ドラマ)
列車戦隊トッキュージャー(2014年/特撮ドラマ)
黒い報告書(2012年/ドラマ)
さよならが言えなくて(2009年/ドラマ)

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